
「組合企業の倒産、組合からの脱退が一番の気懸り。仕事量が減少する中、どんな仕 事でもいいから、各社が懸命に努力して会社を存続してもらいたい。これがひいては 組合のためにもなる」と語る。今年1月21日付けで副理事長から理事長に就任した。 工事量の減少は、自身の会社でも実感。ピーク時に比べ10分の1にまで減ったとす る。「人も減らし、保有機械も売った」。かつて建設冬の時代といわれたオイルショ ックを経験した理事長だが、「比較にならない」としながら、業者の数はさして減ら ない状況では、競争も激化する一方だ。そういった中での理事長就任にあたり、今後 の組合活動への舵取りにも思いをはせる。
かつては約600社を誇った組合員数も、現在では170社に。その要因として「組合に加入していてもメリット がないことだ」と断言する。組合員であっても何も変わらない現状では組合に加入する意味がなく、「何か 引き止めるための方策が必要」とし、「「組織体制も含めて見直し、改革すべき点はある」とする。また、 脱退する組合企業についても、「廃業する会社が多い」と、業界を取り巻く環境の厳しさを指摘する。組合 の最盛期を知る理事長は、「組合員数で300社はないと、先行き組合が成り立たないのでは」と今後に懸念を 示す。 理事長としての役割としては、「組合が、我々の子どもや孫の代まで引き継ぐことができるようにするこ と」と強調、そのためには、組合の組織体制や活動をやれるだけ改革して、後進にバトンタッチすることだ ーと自身の役割を語る。「いずれにしろ理事長に就任して一カ月余りで早急な動きはできないが、組合のた めに任期中は精一杯やらせてもらう」と決意を述べた。
小学生の頃から親の手伝いで現場に出ていた」とする樋口理事長。代々、建設業を家業とする家に家長とし て生まれ、自然にこの道に。しかし1964年、親元を離れ独立し、樋口組を創立。以来、社長として土木工事 や浚渫工事を中心に手掛けきた。 これまでに手掛けてきた工事では、山陽新幹線と近江大橋の工事を上げる。特に新幹線の橋脚現場では、 「機材を運ぶための作業船を陸上輸送したことが印象に残る」と語る。「どんな仕事でも時間をかけて考 え、自分で判断を下す」。その姿勢は、仕事では国内はもとより海外にも出かけ、「あらゆる仕事をこなし てきた」ことに裏打ちされたもの。 同組合に限らず、建設業団体はいずれも会員の減少が一番の悩みのタネとなっている現在、決断と実行力を 持った樋口理事長の手腕に期待がかかる。趣味は魚釣りと盆栽。74歳。