

第7回神戸建築物語が7日、神戸市東灘区の御影公会堂で、‘酒造りのまち と御影公会堂’をテーマに開催された。神戸の観光資源の1つである建築物 等を通して、歴史や文化、その背景にある物語に触れるもので、今回は、神 戸の地場産業である酒造業の集積する灘の酒蔵建築や街並みなどについての 講演と見学会が行われ、市民ら約150人が参加した。 講演では、まず‘灘の酒の歴史と風土’と題して、(株)神戸酒心館事業本 部の湊本雅和副支配人が、灘五郷の成り立ちから、酒造りの手法や酒にまつ わる話について解説。灘五郷の成り立ちでは、1700年代の中ごろに摂津12郷 として、阪神間から堺にかけて酒造りが行われていたとした。このうち、酒 造りの過程における洗米や浸漬、麹米などが灘の気候風土に合い、特に「宮 水」の存在が大きく作用したとされ、また、精米工程で従来の足踏みから 「水車精米により効率性が向上した」ことも要因だと指摘した。 西郷、御影郷、魚崎郷、西宮郷、今津郷のいわゆる灘五郷は、西宮市と神戸 市に点在し、現在では30社の蔵元が酒造りを行っている。灘の酒が発展した 背景として、江戸での消費が高く、文政(19世紀前期)年間では江戸で消費 される酒の約60%が灘の酒となった。 これは、醸造技術はもとより、先に挙げた精米工程の効率化により大量生 産が可能となったことに加え、「樽廻船により全国各地の酒より、いち早く 江戸へ出荷できるようになったことが大きな要因」だとされた。
次いで、神戸大学工学研究科の黒田龍二准教授による講演‘酒のふるさと・灘の酒蔵ー震災の前と後’が行 われた。震災前から酒蔵を活かした街づくりのため調査を実施していた黒田准教授は、酒蔵と御影公会堂に ついて建築面からのアプローチを行った。初めに黒田准教授は、震災による酒蔵の被害について「約55棟あ った酒蔵の9割が壊滅した」と、被害の大きさを指摘。酒蔵の構造では、木造と煉瓦造が多かったとした。 酒蔵建築の特徴では、大蔵と前蔵の2棟でワンセットとし、その前面は庭とする形式で、内部は壁がなく使 用方法は自在であることを紹介。 蔵の配置は、1列型や矩折型、並列型など、用途に応じたものとしながら、寒造りという醸造方法から、棟 を東西向きに配して北風(六甲颪)を取り入れるなどの工夫がなされているとし、また事務所と居宅が併設 していることも特徴の一つーだとした。この大蔵と前蔵による巨大建築と内部の大空間が、「100万人の大都 市であった江戸の消費を支えることができた」と述べた。震災後の状況としては、震災前の形で補修・再建 されたものは、魚崎郷と御影郷で4カ所のみとした。 一方、講演会が行われた御影公会堂について黒田准教授は、「かつては神戸市最大のホールであり、建築手 法では様式建築からモダニズム建築への移行期にあたるものと」とし、ホールをはじめとする空間構成や部 屋と部屋のつなげかたに特徴があるとした。 講演会終了後は、見学会が行われ、御影公会堂内部はじめ、神戸酒心館、泉勇之介商店、灘鯉蔵元倶楽部 酒匠館、白鶴酒造資料館を見て回った。 御影公会堂は、帝国大学で建築を学び、神戸市に入った清水栄二(1895年から1964年)が設計を手掛け、大 林組の施工により1934年に竣工した、RC一部S造地下1階地上3階建て、延床面積3,234.1?のもの。これ までに数回にわたる改修工事が行われた。建設にあたっては、当時の白鶴酒造社長である嘉納治兵衛氏が総 工費の大半を寄付している。