
和歌山大学システム工学部・平田健正学部長に聞く 現在、地球環境問題が大きくクローズアップされている。その一つ、日本の高度経済 成長を支えてきた製造業の跡地では、その功績の代償として大規模な再開発に伴い全 国各地で土壌汚染が発覚。これまで事業者側と住民側との間でトラブルが相次ぐな ど、深刻な問題を投げかけてきた。こうした背景のもと、国民の健康を守る「土壌汚 染対策法」が平成15年2月15日に施行されて、今年で4年目を迎えている。和歌山大 学システム工学部の平田健正学部長は本紙のインタビューで、「住民にも土壌汚染を 知ってもらう大きなきっかけになった」と法施行の成果について一定の評価を下した 後、「事業主が情報を開示して住民と共有、管理していくことが重要」と改めて強 調。また、今後の大きな課題として、適切な環境基準の運用を挙げた。インタビュー の要旨は次のとおり。(編集部・水谷次郎)
【写真:平田建正氏】
――土壌汚染対策法が施行されて今年で4年目を迎えています。きょうはその成果や問題点、将来の対策の 方針などについて土壌汚染を改めて検証してみたいと思います。まずはじめに環境問題の視点に立って、土 壌汚染をどうとらえればいいのか、そのあたりからお聞きします。 平田学部長 土壌の汚染なのか、また土地の汚染なのかという問題があります。環境サイドでは、土壌は環 境財という考え方。土壌は地下水に水を供給する媒体であり、あらゆる植物・作物が成長する食糧生産の場 といえます。健全な水循環であり、そういった観点から土壌はどうあるべきかと。一方、地下水が飲み水の 水源になると、人間への健康影響がどうしても懸念されるために溶出基準が定められています。ですから土 壌汚染が問われるのは、溶出基準を超える有害物質を含んだ地下水を飲むこと、口や皮膚呼吸によって汚染 物質が体内に入ること、この2つ。「汚染された土壌に直接暴露されなければ、さらに汚染された地下水を 飲まなければ、人間への健康影響はない」というのが環境サイドの考え方です。こうした視点に立って土壌 汚染対策法も、「汚染された土壌に直接接しないこと、地下水へ有害物質の溶出を防ぐこと。つまり汚染さ れた土壌や地下水に暴露される経路を遮断することによって人への健康リスクを低減する」というのが1番 の眼目となっています。 ――対策法は環境サイドに立って策定されているわけですね。対策法が施行されて以来、土地の売買にも神 経を使っておられる業者が多いと聞いています。 平田学部長 土地の売買になりますと、経済活動としての売買、資産(財産)としての土地、それから環境 資源としての土壌、これらは本来同じはずのものですが、扱い方がずい分違ってきているのが現状だと思い ます。土壌汚染に限らず環境問題で重要なのは「情報を開示すること、事業主と住民が情報をお互いに共有 すること」です。また、土地の汚染で周辺の住民が迷惑を被る時、事業者と住民がリスクコミュニケーショ ンを行いますが、その時に十分なデータが整っているかどうかも重要になります。こうしたデータなどをチ ェックするのは、問題解決のために設置される委員会の役割でもあります。 《大きい法施行の意義 適切な環境基準の運用を》 ――法施行の成果はあがっていますか。 平田学部長 「土壌にも汚染がある」ことを住民に知っていただく大きなきっかけになっただけでもよかっ たと思います。法3条では、「特定有害物質使用事業場の廃止時には、当該物質による土壌汚染を調査し都 道府県知事に報告しなければならない」と記しています。これまでは、事業主の自主的な判断に委ねられて いました。それだけでも施行の意義は大きいと思います。 ――事業主もその必要性は認識していたと思いますが…。 平田学部長 土壌の調査や情報開示の義務がありませんでしたから。そこなんですね。環境基準では、「人 が生活していく上での望ましい環境の目標値、環境基準を直ちに達成すること」としています。この「直ち に」というのはどれだけの時間・日数を指すのか、これまで必ずしも明確にされていませんでした。これを 対策法できちんと定めたのは、大きな進歩だと思います。 ――今後の問題点がありましたら。 平田学部長 英語で「ブラウンフィールド」(茶色の土地)という言葉がよく使われます。何を言っている のか説明しますと、土地には資産価値があります。しかし、汚染が分かれば売却する時に修復が必要になり ます。その時に土地の資産を超えて修復はできません。資産価値と修復する経費が乖離していてどうしょう もない、いわゆる「塩漬け土地」をブラウンフィールドと言っています。この土地が、日本の都市地域でも 出てきている可能性があります。非常に大きな問題だと思います。また自然由来で、自然が含んでいる有害 物質や地下水をどうするのか。その時に1番重要なのは、やはり環境基準です。汚染の有無から対策の必要 性、浄化目標まで環境基準が適用されています。今後、適切に環境基準をどう運用していくのか、大きな問 題になってくるだろうと思います。さらには「汚染があるけれど健康には影響がない」という土地に対する 考え方も課題になるかと思います。 ――対策法では土地の履歴まで遡及していないと指摘している専門家もおられます。どうお考えですか。 平田学部長 まず、「土地は誰のものなのか」ということになりますね。土地の所有者は法務局で分かりま す。しかし、土地の履歴までさかのぼれば膨大なものになります。また、誰がいま管理しているのかも調査 しなければなりません。そうすると、全く汚染に関係のない個人の情報まで分かってしまう恐れがありま す。個人情報保護の観点からも問題があると思っています。土地にもそんな面があるんですね。個人の財産 だからこそ土壌汚染という非常に大きな問題になるわけです。誰も個人情報は知られたくないと思うでしょ う。履歴の遡及については、いろいろと問題があると私は思っています。 ――確かに土地も個人情報なんですね。 平田学部長 やはり住民は土地利用と汚染の問題とを分けて、しっかり認識しておくことが一番大事だと思 います。例えば「国民全員の住む土地は、すべて環境基準を満たしていなければいけない。白でないといけ ない」と考えている人もいれば、一方、「少し土地の値段が安くなっても汚染土壌に触れることもなければ 地下水を飲むこともない。そのような土地でもいい」と思っておられる人もいます。そのところはマーケッ トの役割だと思います。これは国民の世論だと思いますね。いずれにしても大事なのは、情報を開示してお くこと。情報を隠して後で出すから問題が大きくなる。 ――まさに大阪アメニティパーク(OAP)の土壌・地下水汚染事件がそうでした。 平田学部長 OAPでも法的に正しいかどうかを議論したところで、事業者側と住民側の論点が最初から全 く違っていましたから。企業の社会的責任という意味でも、「だまされた」という観点から住民側は納得で きないといった状況でしたね。私も「情報開示が第一です」と申し上げました。 《自然由来の土壌汚染も将来の大きな問題に》 ――ところで有害物質では、必ずヒ素が検出されます。 平田学部長 ヒ素は全国いたるところで検出されています。かつて海の底にあった海成粘土には、すべてヒ 素が入っていると考えてもらっていいと思います。大阪湾でも、また、海底を浚渫して埋め立てに使った場 所でもヒ素が出ています。さらには高速道路を建設する時にも大きな泥岩にぶつかってヒ素が検出されるこ とがあります。「あらゆるところにヒ素は存在する」ことを皆さんにも理解していただきたい。今後はこう した自然由来の土壌汚染が、日本全体で1番大きな問題になるだろうと私はみています。 ――ヒ素も体内に蓄積されると健康被害が出ると言いますね。 平田学部長 テレビなどでも報道されました茨城県神栖町(昨年の7月に市)では、有機ヒ素が原因で健康 影響を引き起こしています。原因は有機ヒ素を含んだコンクリートを埋めたものとされており、いま、解明 調査が急がれています。私も委員会活動を通して、この研究課題に取り組んでいます。具体的には、もとも と化学兵器と言われていましたが、化学兵器の成分が出てこない。化学兵器の前の成分が出てきました。誰 がコンクリートに有機ヒ素を入れて流し込んだのか分かりません。いま、ヒ素の中毒症状が出ています。 ――ヒ素も怖い。 平田学部長 ヒ素は発汗作用では体外に出ず、指などに溜まると皮膚炎になり、最終的には皮膚ガンを引き 起こすと言われています。発展途上国では、多くの人が皮膚ガンになっているという事例もあります。日本 の場合は、鉱山跡地などでなければそんなに濃度は高くありません。心配しなくていいと思います。 ――海外はヒ素の濃度が高い? 平田学部長 高いですね。日本の10倍〜100倍高い地域もあると言われています。そうした国は土壌の中に鉱 床、いわゆるヒ素の資源があり、そこを水が通るためにヒ素を多く含んでいる。日本には、宮崎県土呂久や 松尾に鉱山由来のヒ素汚染地があり健康影響を引き起こしました。でも今は、何100万人も暴露されるような 規模の鉱床はありません。一般に自然由来のヒ素汚染は濃度は低く、全く問題ないと言ってもいいでしょ う。 《土地利用は賃貸も検討を 資産リスク低減へ》 ―― 一方、産業由来の土壌汚染も深刻です。 平田学部長 産業由来の場合も、海岸地域に多くの工業地域があります。これまで必ずしも十分な管理のも とで廃棄物処理がなされてきたとは思われません。高度経済成長は逆に多くの問題を残している可能性があ ります。こうした土地は、今後、工場、あるいは住宅地などの土地利用や管理の仕方によって大きく変わっ てくると思います。 ――汚染された土地、また工場跡地の再開発による土地利用については、どうお考えですか。 平田学部長 汚染が分かれば、個人が土地を所有する資産としてのリスクが非常に大きくなりますから、私 は賃貸マンションなどで土地を使って、皆んなで共有すれば十分管理が出来るのではないかと考えていま す。土地も所有者によって確かに複雑な部分はありますが、賃貸という考え方は頭に置いておいた方がいい と思います。OAPでも賃貸マンションであれば、早い段階で住民の方と事業者の間で問題が解決した可能 性があります。個人に資産価値の低下を招くようなことは、やはり問題が多いと思います。 ――資産価値の低下は、とくに分譲住宅の購入者にとって深刻な問題です。 平田学部長 「スティグマ」とよく言いますね。これは「土壌汚染が存在している、あるいはかつて存在した 心理的嫌悪感からくる土地の資産価値の低下」を意味し、もともとは「奴隷や囚人に押した焼き印のこと」 です。事業主が「完全に浄化しました」と言っても、心の傷のようなスティグマが残るのはあると思いま す。 ――対策法は、あくまでも汚染が見つかってからの対策なんですね。 平田学部長 未然防止ではありません。やはり「土壌にも汚染の問題がある」ことを住民にも理解していた だくことが大事。もちろん浄化は必要ですが、資金面などで問題がありますから、「有害物質を管理するこ とによって人の健康影響を防止すること」が重要です。冒頭でもふれましたが、「汚染土壌に暴露されな い、あるいは地下水を飲まない。そのためにはどこにどういった汚染物質が存在するのかを開示し、情報を 共有して皆んなで管理していこう」、これが対策法の1番の目的になっていますが、この法の趣旨が広く社 会的に認識されているとは言い難い状況です。 ――住民からすれば、汚染物質を一掃してほしいと…。 平田学部長 環境基準の運用において、修復対策実施の発動や修復目標に一律に適用することに無理があれ ば、土地や地下水の利用状況に応じた対策実施基準や管理目標値などを真剣に考えなければならないと思っ ています。人の住んでいない土地の汚染、飲用していない、あるいはできない地下水の汚染、自然由来の土 壌地下水汚染、ブラウンフィールド問題などは制度として、また技術として解決していかなければならない 課題だと思います。 ――法で定められている対策工法は十分ですか。 平田学部長 コンクリートによる遮水や覆土(盛土)などが基本であり、深さについては法的に厚さ50?程 度(覆土)とされています。しかし、現状では汚染物質が検出された地面を削り、新しく土を入れ替えるケ ースが多い。覆土はあくまでも含有基準を超えている場合。ただ覆土すればいいという話ではありません。 対策の目的と場面に応じて、様々な技術の中から適切な技術を選択することが重要です。例えばトリクロロ エチレンなどの揮発性有機塩素化合物であれば、汚染物質を除去する固有の技術として、土壌ガス吸引技 術、地下水揚水技術、土壌や地下水からの気化を促進するエアースパージング技術、微生物分解や化学分解 技術などが実用化されています。 ――実際使用されている効果的な技術を教えて下さい。 平田学部長 トリクロロエチレンなどの揮発性有機塩素化合物は、すでに現場で使われており、汚染物質を 分解しています。また、鉄粉なんかは非常によく使われます。鉄は酸化しますから相手を還元する。鉄粉を 混ぜると、有機溶剤なんかは比較的簡単に分解されます。地下水の技術としては酸化剤を入れると分解し、 還元剤を入れると逆に微生物で分解することも可能です。ただ、地下水には酸素を多く含んでいる場合があ り、その時に還元状態をどう作るかが課題になっています。たくさん微生物を入れると別の問題が起こる可 能性もあります。その意味で監視しながら使っていくことが大変重要になります。このことから地下水で は、微生物をコントロールする、また適切に分解していく技術が大変難しい。実際、現場で使用しているケ ースもありますが、環境省では、現在でも毎年、実証試験を試みているというのが現状です。 《浄化対策や技術開発は透明なプロセスで》 ――浄化技術の将来的な見通しを。 平田学部長 社会ニーズがあって、はじめて技術が存在します。今後の技術開発は、低コストで低負荷な技 術が求められるでしょう。効率的で低コストな修復は、誰もが願うところです。技術開発でも大切なのは、 汚染原因者側と請負側だけで水面下で活動を行うのではなく、やはり技術の有効性やコスト、修復に伴う環 境負荷など、将来の技術開発に役立つ情報を開示してこそ初めて社会的責務を果たすことになると思ってい ます。浄化対策は行ったが、その効果を誰がどのような手法で評価するのか、ソフト面での技術開発や誰も が納得する透明なプロセスが必要です。土壌浄化技術で、あらゆる汚染物質に、どのような場面でも、決め 手となる世界最高水準の技術は望めません。最終的には、経費と安全性を考慮した行政的な判断に委ねられ ることになると思っています。 ――それにしても有害物質の取り扱いは本当に難しい。 平田学部長 有害物質は、基本的に環境に出たときに分解されにくい難分解物質であり、産業界にとっては 非常に役に立つからこそ化学物質が生産されるわけです。私たちの生活にも大きくかかわっています。いた ずらに環境影響を訴えるのではなく、化学物質を正しく理解し、環境リスクを低減するための努力が必要で しょう。最後まできちんと管理していけば問題ありませんが、廃棄物の処理がずさんであったり、溶剤が漏 れだすと危ない。環境に出ると、いつまでも分解されないまま残ってしまう危険性があります。このためP RTR法では、有害物質の使用量、輸送量、貯蔵量をすべて明らかにし、1か所で1t以上使っている化学物 質については自治体に報告するという管理が義務付けられています。 ――最後にリスクコミュニケーターの役割についてお聞きします。 平田学部長 私は中立的な立場のNPOらが今後大きな役割を果たすだろうと思っています。リスクコミュ ニケーターは専門的知識が必要で人格も問われます。また、汚染原因者や住民、行政や専門家など、皆んな に信頼されなければいけません。すべてのステイクホルダー(利害関係者)から等距離にあることが環境問 題では非常に大事だと言えます。そのためには、ステイクホルダーの間に、相互信頼を伴ったリスクコミュ ニケーションを日常的に成立させておく必要があります。 ――きょうは大変お忙しい中、ありがとうございました。土壌汚染の対策が環境問題を考える新たな第一歩 になれば幸いかと思います。今後のご活躍を期待しております。 平田健正(ひらた・たてまさ)学部長のプロフィール=1973年3月大阪大学工学部土木工学科卒、1975年3 月大阪大学大学院工学研究科修了。1980年10月環境省・国立環境研究所総合研究官を経て、1995年4月和歌 山大学教授(システム工学環境システム学科)、2001年4月和歌山大学副学長(2002年7月まで)、2003年 4月から和歌山大学システム工学部長。専門は環境水理学。和歌山県出身、55歳。 現在の主な公職は、環境省の低コスト低負荷型土壌汚染調査対策検討委員会座長・硝酸性窒素浄化技術開発 普及等調査検討会座長・国内における毒ガス弾等に関する総合調査検討会委員・総合研究開発推進会議委 員。このほか、環境事業団の浄化機器貸付事業アドバイザー、土壌汚染対策コンソーシアム代表などの要職 を務める。主な著書に土壌・地下水汚染と対策(中央法規出版)、土壌汚染と対応の実務(オーム社)など 多数。著書・論文は計243編。