水の都・大阪」の再生を先導する注目工事に弾み。 長い歴史の中で、川と産業・人・暮らしが結びついて発展を遂げてきた大阪を代表する河川であり、都心南部に残された貴重な水辺空間でもある道頓堀川。その水辺に親水性の高い遊歩道を整備して都市の魅力を高める道頓堀川水辺整備事業ならびに長年に亘って親しまれてきた戎橋の架け替え工事が、順調に進捗している。大阪市が、新「水の都・大阪」の実現に向けて取り組んでいるリーディングプロジェクトの一翼を担うもので、道頓堀橋〜戎橋間(約60?)の遊歩道整備や戎橋架け替えその他工事の施工を担当している鴻池組・中林建設特定建設工事共同企業体では、ミナミの中心部において高度な技術力を駆使しながら安全第一に作業を推進。今後も、大阪の?新名所?の創出に向けて全力を傾けていく。 河川と海との接点に位置し、古来から瀬戸内海と奈良や京都の内陸部とを結ぶ交通の要衝として栄えた大阪。その発展をさらに支えていたのが淀川、大和川をはじめとする大小の河川や運河で、豊臣秀吉や徳川家康により、大阪城の築城とともに、上町台地西側のまちづくりが進められた。当時、上町台地西側一帯は湿地帯で、水はけをよくし開削された土で整地することにより、堀川の整備が進められた。 その結果、市中を縦横に流れる水路によって流通機能が発達し、「天下の台所」と言われる商業都市・大阪が誕生。以来、「水の都」大阪を縦横に流れる河川・運河が商都・大阪の発展に欠かせない市内交通の動脈として活用され、大阪の産業を育ててきた。 しかし、近代に入ってからは、鉄道・自動車の発達に伴って水上交通が著しく衰退するとともに、急激な都市の進展によって河川の水質悪化などを招いた。また、ジェーン台風(昭和25五年9月)による西大阪一帯の未曾有の大災害を機に、高潮対策事業による防潮ラインの見直しや、道路建設、下水道整備の促進が時代の主流となり、多くの河川が埋め立てられた。 こうした変遷を辿ってきた「水の都」大阪の歴史。近年においては、安全・安心・快適な水辺環境の創出、水質の改善、舟運機能の強化などを踏まえた「水都の再生」への機運が高まってきている。 世界的にも稀な都心部を囲む河川(道頓堀川、東横堀川、堂島川、土佐堀川、木津川)を「水の回廊」として整備し、水を活かした都市の魅力を再び創出することによって大阪の都心部の再生にもつなげていく「水の都・大阪」の再生が、政府の都市再生プロジェクト(第3次決定)に採択されたのは、平成13年12月。また、平成15年3月には、経済団体、行政等によって組織される「水の大阪再生協議会」において「水の都大阪再生構想」が策定された。 この再生構想の中で、リーディングプロジェクトとして位置づけられた道頓堀川の水辺整備は、「川」を「まち」を構成する重要な空間として捉え、水を身近に感じられる空間となるよう、道頓堀川沿いの両岸に遊歩道を設けるもので、現在は、第1期事業区間のうち、湊町〜日本橋間(約1.1?)の整備を平成22年度の完成を目指して進めている。 水質浄化の範囲を西道頓堀川まで拡大するために道頓堀川下流部と東横堀川に建設した水門の完成を経て着手した遊歩道整備のうち、平成16年12月には、戎橋〜太左衛門橋までの約170?の区間に、とんぼりリバーウォークの愛称で親しまれている親水性の高い憩いの空間が誕生。来訪者に潤いと安らぎを与えるこの遊歩道は、片側約8?の幅で、上段が美しい御影石舗装、下段がウッドデッキスペースで、護岸の耐震補強も行われている。 一方、一日約10万人を超える通行人で賑わう現在の戎橋は、橋長36.1?、幅員10.9?のアーチ橋で、大正14年に完成。以来、大阪の人々から長年に亘って親しまれるとともに、全国にも名を馳せている。 しかし、5代目となる同橋は、築後80年余が経過し、老朽化が進んでいたことから架け替えられることになり、外観デザインについてはデザインコンペティションの結果、小野泰明氏の作品を最優秀作品に選定した。 水辺の遊歩道にスロープで往来することが可能なので、これまで以上に水を身近に感じることができることや、軽量な構造であることから施工面に優れ、架け替え工事による商店街、一般交通への影響を軽減できることなどが評価された新しい戎橋は、商店街で賑わう南北の人の流れと水辺遊歩道に沿った東西の人の流れが交わる賑わいの中心となる鋼床版銘桁橋。橋長26?、幅員11?で、来春の完成を目指している。 大阪を代表する河川であり、都心南部に残された貴重な水辺空間でもある道頓堀川。しかし、治水対策のために護岸が嵩上げされたことや、水質の汚濁などによって、現在の道頓堀川は、まちと隔たった存在に陥っている。 このため、大阪市においては、「水の都・大阪」の再生に向け、道頓堀川の水辺に親水性の高い遊歩道を整備し、潤いのある新たな賑わい空間を創出することによって都市の魅力を引き出す道頓堀川水辺整備事業を推進。鴻池組・中林建設特定建設工事共同企業体では、その一翼を担う道頓堀川水辺整備工事(道頓堀橋〜戎橋間)ならびに戎橋改良工事と戎橋架替その他工事の施工を担当しており、高度な技術力を駆使しながら安全第一に工程の進捗を図っている。 宮脇伸行所長をはじめとする有能なスタッフが、歩行者の安全を最優先させながら親水性の高い憩いの空間および道頓堀川の新しいシンボルの創出に努めている工事のうち、道頓堀橋から戎橋間約60?において遊歩道を両岸に築造する整備工事に着手したのは平成15年6月。調査工事を経て翌年1月からグリーンベルトの撤去作業をクレーン台船を使用して行った。 新設護岸の鋼矢板打設は、舟形護岸を撤去した上で推進。この後、御堂筋から戎橋までの河川上全面を覆う資材・機械搬入用および作業用の仮桟橋工事が淀みなく進捗していった。 川の部分はブルー、遊歩道部分はウッドデッキ色に着色するなどして景観に配慮している覆工板の設置が平成16年末に完了してからは、河川部の浚渫をクラムシェルを使用して3月初旬まで推進。引き続き、桟橋上から行った鋼管杭(径700?、長さ16?)の打設を5月末まで続け、ふとん籠を設置してから遊歩道の基礎となる受桁ブロックおよびPC板の据え付けを実施した。 遊歩道基礎が九月末に完成してからは、戎橋から遊歩道への進入路となる鋼製階段基礎の施工に着手。また、今年の3月から5月にかけては、遊歩道へのスロープ設置(重力式擁壁の構築)を続け、現在は、新設橋台前面部の遊歩道整備作業を進めている。 一方、戎橋架替その他工事は、平成16年5月に仮橋支持杭の施工が本格化。強化ガラスを用いた防護策にするなどして景観に配慮を加えている仮橋(歩道延長51?、歩道幅員一般部6?、中央部分10?)の架設については、8月末から戎橋を道路占用して進め、11月9日に供用が開始されるに至った。 仮橋の供用が開始されてからは、戎橋の既設高欄、親柱の石材撤去を推進。また、本体撤去については、老朽化し、耐荷力が低下している躯体への負荷を最小限に抑えるとともに、遊覧船等の航路閉鎖期間を短縮するため、鋼製アーチ支保工を採用して実施することとし、この組み立てを先行した上で着手した。 同作業は、上空制限がある中、1本当たり約10?の鋼材を慎重に横引き架設していき、水中で施工。高い品質が要求されるとともに、河川の水質汚濁防止も必要だったため、支保工支点部のコンクリートについては、材料分離抵抗性に優れ、流動性、充填性にも利点がある水中不分離性コンクリートを採用し、アーチリブに打設孔と充填確認孔を設けて打設した。 アーチ支点部が昨年3月に完了したことによって着工態勢が整った既設のコンクリートアーチ橋の撤去は、4月から5月にかけて推進。軸力を解放し、鋼製アーチ支保工に支えられた状態のアーチリブコンクリートは、ワイヤーソーで切断した10?程度のブロックを100?吊りのクローラクレーンで吊り出し、トラックで場外搬出した。 この間、鴻池組・中林建設特定建設工事共同企業体では、偏荷重や老朽化した躯体の予期せぬ挙動を把握するため、計測工によるモニタリングを実施。鋼製アーチ支保工の応力度と変位および既設橋台の変位を常に計測しながら安全かつ慎重に作業を推進した。 6月に鋼製アーチ支保工の撤去も完了し、これまで戎橋に覆われていた道頓堀川の部分が見える状態になってからは、新設橋台の施工へと移行。まず、川を締め切るための鋼矢板を打設し、この後、薬液注入による地盤改良を実施した。 懸念されていた盤膨れに対する対応が進行していく中、阪神タイガースのセ・リーグ優勝へのカウントダウンも一気に進み、マジックの減少を睨みながら道頓堀川への飛び込みを防止するための万能板の設置に取りかかった。 V達成気分に浮かれて暴走する阪神ファンのダイブを?完封?するため、東側に急遽設置した防護壁は高さ約3?(延長約30?)。西側には、架け替え工事のために、強化ガラス板をはめ込んだ防護柵が既に張られていたので、戎橋はこれにより完全に封鎖され、阪神タイガース優勝時における風物詩が消えた。 阪神タイガースの優勝に伴う喧噪が沈静化してからは、床付け作業を進め、11月に鋼管杭(径900?、長さ11.5〜 12.5?)を片側10本ずつ打設。12月には、橋台の躯体工にいよいよ着手し、今年の1月に新設橋台2基が完成するに至った。 現在は、流動化処理土による埋め戻しがほぼ完了しており、別途工事となる本橋桁の架設完了後(6月予定)から橋面西側半分の仕上げ(高欄、親柱など)に着手する方針。これまで継続している無事故・無災害記録を更新しながら高品質を徹底追及していく。 宮脇伸行所長の話=大正14年に完成した戎橋の架け替え工事に、80余の歳月が経過した現在、自分たちが携わることが出来る。これ以上の自慢はありません。今にも増してミナミの賑わいの中にあった大正時代、戎橋を鉄橋からコンクリートアーチ橋に架け替えた現場の大先輩たちの偉業を感じながら、1日に約10万人もの人が行き交う戎橋において安全を最優先させながら作業を進めています。私は、物づくりが好きですから、みんなの夢や想像の世界を形に出来る現場は大好きです。今の時代は、公共投資や建設業界がよく思われない風潮にありますが、この現場の前を往来する人々に、少しでも土木の果たす役割についての理解を深めてもらえればと願っています。そして、今後も、「いい仕事をしていますね」と言われるように、日々努力していく所存ですので、関係各位の変わらぬご支援、ご指導をお願い申し上げます。