

人物探訪「ぶっちゃけ聞きます」 -宮崎八郎・宮崎建築設計事務所所長- 耐震偽装問題で揺れ動いた建築設計界。プロとしての自覚と誇りが問われる 中、今春には全国で初めて建築確認検査機関の協会が大阪で設立された。 その発起人代表として初代会長に就任したのが宮崎建築設計事務所の 宮崎八郎所長。既に社大阪府建築士会の会長と財大阪建築防災センターの 理事長も務めるなど、極めて多忙な日々を送っている宮崎所長だが、これら団 体活動と事務所の仕事の合間を縫って熱中しているのが絵画だ。子供の頃から 本格的に絵を描き始め、その腕前は‘プロ級’と評されている。 「アトリエを持って思うままに絵を描きたい」と夢を語る宮崎所長にこれまで のことを振り返ってもらった。(聞き手=能村麻里・ツールバンク?)
写真:記念画集(第二集)の中から 「初夏の八ヶ岳」 -----------まずは、平均的な1日のスケジュールから教えて下さい 「朝は7時頃に起き8時半には家を出て、9時半には事務所に入っています。僕は運転免許がないものです から電車通勤です。団体の会合がない場合は、その日その日の仕事をこなすだけで、夜はお付き合いが多く、 真っ直ぐに帰ることは殆どありませんね」 現在、建築士会はじめ三団体のトップを務め、大学でも講義を受け持つ。「月のうち20日以上はそれらの 会合に出ています」とのこと。多忙を極める日々だが、「要領を会得すればそんなに無理はありません」。そ の会合も午後遅めに開くため、その流れで外食が多くなる。 ----------お休みの日の過ごされ方を 「休みの日は自宅の庭と道路を約2時間程かけて手入れや掃除をします。ゴミも分別収集してやりますが、 これが終わると非常に気持ちがいいんです。きっちり整理するという作業は、設計の仕事に共通しますね」 宮崎所長は、設計の仕事は「創作の中の整理」だと言う。各種の制約が課せられる設計業務では整理力が問 われるとする。掃除が済めばまず朝風呂に入り、一杯飲りながら朝昼兼用の食事を取り、あとは昼寝。「頭の 休憩です」。また、自ら台所に立ち家族に手料理を振舞うこともこともしばしばあると言う。 ----------宮崎所長が絵をお描きなることは有名で、その腕前は趣味の域を超えていらっしゃいますが、いつ 頃から始められたのでしょうか 「子供の頃から絵を描くことが好きでした。紙と筆があればしょっちゅう書いておりました。そもそも建築 設計をやるつもりはなく、美術学校へ進学するつもりでした」 十歳から絵の先生について本格的に絵を描き始める。‘プロ‘への夢を膨らませながら東京芸大を受験する も挫折。その後、あくまで趣味として筆を取ることに。 「一枚描くのにだいたい3〜4時間で形はできます。その後は毎晩、手を入れていきますが、興に乗ると夜 中の2時、3時になることもしょっちゅうですね。スケッチに出掛けたあとも、一週間から10日間位は毎晩 手をいれます。そして納得した時が完成です」 余暇は殆ど絵を描いていますと言う宮崎所長。自宅には250点程の絵を所蔵し、そのうち200点を昨 年、画集として収めた。プロではないと言うが、れっきとした大阪府美術家協会の会員であり、その筆致は ‘プロ級’といえ、美術年鑑にも掲載されている。 ---------設計の道に進まれたきっかけは 「もともと父親が設計事務所をやっておりました。その父からは芸術家は無理と反対されておりましたし、 芸大の受験に失敗した後、父を喜ばす意味もあって設計への道を選びました」 大学卒業後、設計事務所へ勤務。「絵画は個人プレー」とする宮崎所長にとって会社勤めは「非常に辛く苦 しかった」とし、あえて「修行時代」と言う。30歳を目標に独立の夢を追い、2年遅れで現在の事務所を開 設。最初に手掛けた設計が当時、私淑していた画家であり、人生においても多大な影響を受けたとする河上一 也先生の自邸兼アトリエ。 「独立の報告にいって一週間後に「君の初仕事のために家を建ててあげる」と言われ、二人で土地を見に行 ったのが最初です。壁の色からカーテンに至るまで「建築には建築の色がある」と言われて私にまかせ、一 切、口を挟まなかったのには参りましたね」 人生は「良い師匠に巡り合うこと」と言う。幸い、師匠に恵まれ、仕事にも恵まれてここまで来れたとす る。中学・高校校の同級生である夫人との出会いもそのひとつ。男女共学制となったことがきっかけで大学卒 業後に結婚。 「当時は共働きが少なかった時代で、おまけに給料も彼女の方が多く、肩身の狭い思いをしました。アルバ イトも出来たんですが、修行の身としてひたすら腕を磨くことに専念しました」 モットーは「誠誉随心」。人間の誉れとは、地位や名誉を得ることにあるのではなく、「如何にして生きた か」であり「武士道に通じるもの」がある。自らを振り返って「やりたくない仕事、金儲けのための仕事は一 切やってこなかった」とする。 --------今後の夢を 「体力・気力の続くまでは今の仕事を続けようと思っておりますが、もし出来るなら、私の大好きな信州安 曇野に小さなアトリエを持って、心行くまで絵を描きたいですね」 「設計事務所は一代限り」を身上とし、二人のご子息は別の道を歩んでいる。宮崎所長の夢は当分かないそ うもない。 (文・構成 渡辺真也 日刊建設新聞社) 宮崎八郎(みやざき・はちろう)昭和31年大阪工業大学第一工学部建築学科卒業後、三座建築事務所に入 社、同42年宮崎建築設計事務所を設立し、事務所・商業施設などを手掛ける。また、大阪府建築士会と大阪建 築確認検査協会の会長、大阪建築防災センターの理事長、日本建築士会連合会副会長などを務めるほか、大阪 市立大学で教鞭をとる。 平成7年建設大臣賞、同9年に黄綬褒章、同17年旭日小綬章を受賞。大阪市出身。73歳。 トップインタビューを終えて「麻里のひとりごと」 73歳という年齢が信じられないぐらいに若々しくダンディな人でした。要職を務める方と聞いて緊張してお 話を伺いましたが、一つ一つとても丁寧に面白くお話下さり、相手の立場にきちんと目線を落としてくださる 人だと思いました。また絵画に関しては、趣味とおっしゃっていましたがすごいもので、その素晴らしい作品 に触れることができ、私にとって大きな収穫でした。本当にありがとうございました。 ホームページ http://www.iam.ne.jp/~miyazaki-swb/