社会的使命・役割を自覚 大阪建設業協会は、明治41年(1908年)に創立された「大阪土木建築業組 合」を前身とし、以後、時代の変遷とともに組織形態や名称を変えながら も、地域の振興・発展、建設業の健全な発展を活動の主軸に置き、これまで も様々な問題解決を図ってきた。 その中で建設史上に名高い「業界3問題」への取り組みは特筆すべき事柄 として伝えられている。
1919年、同組合では「議員被選挙権獲得」「営業税の改正」「保証金制度撤廃」を掲げ、各省大臣や府県に 建議書を送付するとともに要望・陳情活動を展開、さらに全国の同業者団体に呼びかけを行い、一部の課題 は残しながらも解決をみて、当初の目的を果たすこととなった。 この運動は、業界自らが社会的に堂々とその権利を主張したことに画期的な意味があった。それは、各組合 員が建設業の果たすべき社会的使命や役割を自覚し、企業としての建設業に誇りと自信を持ったことの証左 であった。また、同組合では終始先頭に立ち運動をリードし、この中での動きが、後の全国建設業協会の前 身となる「日本土木建築請負業者連合会」の結成へとつながっていく。また、1945年の終戦時には、軍部の 備蓄物資が関係者らに占有される中、当時の戦時建設団大阪分団では一切手をつけることなく、後年、GH Qからの指弾を受けなかったことなども注目に値する。 戦後の復興が軌道に乗り始めた昭和1949年8月、建設業法が施行されると現在の名称である大阪建設業協会 に改称、自主精神に満ちた任意団体として組織拡充に努め、会員数も増大。1956年12月には現在の拠点であ る大阪建設会館(RC造地下1階地上6階建て)が竣工、さらに1976年11月には社団法人として新たなスタ ートをきることとなった。 高度成長期には、1970年の日本万国博覧会の建設工事における、資材の安定供給や労務賃金高騰防止、諸外 国との契約約款作成、大阪府建設業雇用促進協会の発足などで主導的な役割を果たし、日本の建設業の実力 を世界に向けてアピールした。 その後、2度にわたるオイルショック、セメント・生コン業界との「大阪生コン戦争」、阪神・淡路大震災 への復旧・復興支援などにおいても的確な対応を図ってきた。 現在では、会員各社のニーズに対応すべく、委員会活動を中心に事業を展開。委員会は、総務・総合企画・ 広報・経営・建築・土木・環境・労働ーの各委員会で、これら委員会では必要に応じて専門部会やワーキン グループを設置して、工法・技術、経営や労働など、各分野の課題について調査・研究を行い、その成果を 会員にフィードバックするとともに、関係行政機関等への意見具申に努めている。また、国をはじめとする 発注機関等との意見交換会や調査研究活動、ホームページや広報誌「OーWAVE」による広報活動、さら に近畿地方整備局と大阪府らとの間に大規模災害への支援を行う防災協定を締結 するなど、地域福祉向上を目指した活動も展開している。 そして創立100周年を迎えた今年、建設業を取り巻く環境には極めて厳しいものがあるが、明治以来脈々と培 われてきた‘大阪の建設人’としての魂は現在の会員にも受け継がれており、これからも自らの手で新たな 展望を切り拓いていく。 大建協の役員は次の通り。(敬称略) 会長 ~~~~ ▽奥村太加典(奥村組社長) 副会長 ~~~~~~ ▽森本晴夫(三和建設社長) 理事 ~~~~ ▽淺沼健一(淺沼組社長) ▽今西邦夫(今西組社長) ▽大林剛郎(大林組取締役) ▽木戸徹(鹿島関西支店長) ▽鴻池一季(鴻池組会長) ▽小橋鴻三(清水建設関西事業本部長) ▽錢高一善(錢高組会長兼社長) ▽高橋昭夫(不動テトラ社長) ▽竹中統一(竹中工務店社長) ▽寺下ひとし(土へんに勺)(大成建設関西支店長) ▽原眞一(コーナン建設社長) ▽森竹淳(大鉄工業社長) ▽山本光一(森組社長)監事 ▽中道正伸(中道組社長) ▽野村昇(戸田建設大阪支店長) ▽松木俊彦(建設総合サービス社長)