ため池からダムへの変遷 ‘狭山池・平成の大改修 大阪の治水の歴史に触れながら ’をテーマとし た講演会が25日、大阪狭山市の大阪府立狭山池博物館で開催された。同博物 館並びに大阪府らの主催によるもので、大阪狭山市のシンボルである狭山池 への関心を高めることを目的に行われたもので、大阪府都市整備部河川室砂 防ダム課の河野敬太郎課長が、池からダムへと変遷を遂げた狭山池の歴史や 工事の概要などについて語った。 講演では、初めに狭山池博物館の工楽善通館長が、狭山池の歴史について解 説。工楽館長は、狭山池から出土した木桶の遺構から「616年あたりの七世紀 始めに構築された日本最古のため池である」と述べ、築堤にあたっては盛土 と盛土の間に植物層を挟み込んだ「敷葉工法」が採用されているとした。 同工法については、西暦330年に韓国で築造された碧骨堤で採用されており、 さらにそれ以前にも中国の遺構で見つかっていることから、中国から朝鮮半 島を経由して狭山池に伝わったと指摘、「中国を親堤として、韓国の池と狭 山池は兄弟堤だ」とした。
これら池の役割として工楽館長は、「いずれも灌漑用として築造されたもので、アジアの稲作地帯に共通す るもの」としたほか、竜神伝説など水にまつわる祭祀行事などの共通事項も見受けられることから、今後も ため池を通してアジアの稲作文化についての考察を深めていきたいとした。 次いで、河野課長が狭山池の役割や改修工事についての講演を行った。河野課長は、大阪の治水事業の経緯 などを述べながら、1982年の豪雨による西除川下流域で発生した浸水被害を契機に、「100年に一度の豪雨に 対応するため」狭山池の改修工事が計画されたとした。計画では、均一型アースフィルダムとし湛水面積 0.36?を整備。改修工事により改修前と比べ、貯水量を100万立方mを確保して180万立方mに。工事では、 堤を1.1mの嵩上げと掘削3mを実施し、西除川の流入口付近に沈砂池を設けた。 工事に関して河野課長は、貯水しながらの仮締め切り堤と乾期を利用したドライ施工を併用、「この調整が 難しかった」としたほか、全国的にも珍しい「都市型ダム工事」のため、振動・騒音対策とともに、掘削土 砂を再利用して外部からの運搬を低減させるなど近隣対策にも配慮した。また、「歴史と景観の保全が最大 の特徴」として堤体保存工事にも万全を期したとする。保存堤体には、敷葉工法はじめ1400年の間に11回行 われた改修工事の跡が年代別に残されていたため、保存・移設工事は、世界初の試みとして、高さ15.4m、 底幅62mの堤体を9段・101個のブロックに分けて実施された。 さらに、ブロック体をポリエチレングリコール液に浸すことで保存状態を良好に保つなど、保存工法につい ては検討から4年がかりとなった。また、博物館への移設に関しても建築工程を調整しながら開口部を設 け、堤体設置面の床には免震装置も設置されるなど、慎重に工事が進められた。 工事を振り返り河野課長は、「貴重な遺構を一部とは言え実物を残せたことは大きな成果」とし、改修後も 桜の植樹や親水施設の整備などで市民に親しまれていることを指摘、狭山池が市のシンボルとしての価値を 高めていくことに期待を寄せた。 狭山池博物館では、今年4月より大阪狭山市立郷土資料館を館内に移転し、府や市、狭山池まつり実行委員 会らと協働運営委員会を設立して博物館の魅力づくりに取り組んでおり、今回の講演会はその初めての事業 として狭山池まつりの開催に合わせて実施したもの。